暖房器具をPCに買い替えた

COVID-19流行のせいでここ数ヶ月は延々と在宅で作業している。例に漏れずWeb会議が多くなり、自宅でマルチディスプレイ環境を常用するようになった。そこへ追い打ちを掛けるようにWindowsを使う必要が生じたため、骨董品のデスクトップPCを引っ張り出してきた。ここ数年はmacOSUbuntuだけで作業が完結しており、Windowsが必要な場合でも古いZenBook(下記)で事足りたのだが。

www.asus.com

このZenBookCPUはCore i7 2677M@1.8GHz。懐かしのSandy bridgeだ。2011年当時はこれでもそれなりに活躍してくれたものだが、現代でその能力はCore i3の50%に満たない。

https://www.cpubenchmark.net/compare/Intel-i7-2677M-vs-Intel-i3-1005G1-vs-Intel-i3-1000NG4/880vs3560vs3714

残念ながらこのZenBookでChromeなんて立ち上げた日には、なけなしのメモリー4GBが一瞬で食いつぶされてしまって全く作業が進まない。そこで、別の骨董品を引っ張り出してきたのである。それがこちら。

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AMDAMDAMD

ascii.jp

構成はFX-8150、RAM 16GB、Radeon HD 6850と、AMD縛りでほぼフルカスタムにした。SSDは直後に発売されたIntel SSD 520に換装済みで、当時のAMDマシンとしてはそれなりに高い性能を持っていたはずだ。FX-8150は物理8コアかつTDP125Wとすることにより、発売当時に対抗馬であったCore i7 2600K(物理4コア、TDP95W)とも競合できるスコアをたたき出している(下記)。

https://www.cpubenchmark.net/compare/AMD-FX-8150-Eight-Core-vs-Intel-i7-2600K/263vs868

ただ、お察しの通り、シングルコア性能で当時のAMDIntelに遠く及ばなかった。下記の比較ではその結果がよくわかる。

https://www.cpubenchmark.net/compare/AMD-FX-8150-Eight-Core-vs-Intel-i7-3960X-vs-Intel-i7-3930K-vs-Intel-i7-2700K-vs-Intel-i7-2600K/263vs903vs902vs881vs868

TDPがほとんど変わらず2コアも多く備えているにも関わらず、FX-8150のスコアはi7 3960Xの6割にすら達していない。ぴえん。

ちなみに現在のAMD Ryzenシリーズの物理8コアと比較した結果がこちら。

https://www.cpubenchmark.net/compare/AMD-FX-8150-Eight-Core-vs-AMD-Ryzen-7-3700X/263vs3485

TDPが半分しかないCPUに5倍くらい差を付けられているので、もはや計算チョットデキル暖房器具である。数年前までは現役だったが、実際夏場に使っているとつらかった。

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赤く光っているせいで余計に暑苦しい。

 

Radeon HD 6850はというと、Geforce GTX 580には遥か及ばないものの、GTX 550 Tiには優位であった。

https://www.videocardbenchmark.net/compare/Radeon-HD-6850-vs-GeForce-GTX-550-Ti-vs-GeForce-GTX-580/45vs16vs68

それも現在ではハイエンドに遠く及ばず、4Kで作業なんて夢のまた夢である。

https://www.videocardbenchmark.net/compare/Radeon-HD-6850-vs-GeForce-RTX-2080-Ti-vs-Radeon-RX-5700-XT/45vs3991vs4111

そんなこんなで、必要に迫られてデスクトップPCの新調に至ったわけだ。そう、これは必要なことなんだ。私のせいじゃない。私は何も悪くない。

 

で、今回もCPUは懲りずにAMDのやつ!

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GPUはやんごとなき事情によりNVIDIA

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そして浮気した罰が当たってVGAは潰れて届く。Radeon VIIの在庫を枯らしたAMDが悪いんだ、私は悪くない。アウトレット品だったから外箱破損は覚悟していたが、その外側のさらに外から潰れてきた。ダメ元で代品手配をお願いしたら、無事にきれいな子が届いた。

Radeon VII、GRAM16GBは魅力的なので、在庫があったら買ったのだけど。中古が放出されたら増設しようかな。

 

その他も含めたざっくりとした構成は以下;

CPU: AMD Ryzen9 3900X

M/B: MSI MEG X570 UNIFY

RAM: G.Skill Ripjaws V 128GB (32GBx4) DDR4 2666Mhz

SSD: CFD CSSD-M2B1TPG3VNF (1TB)

VGAMSI GeForce RTX 2080 SUPER VENTUS XS OC

Case: NZXT H510i Red/Black

PSU: SUPERFLOWER Leadex 3 Gold-ARGB 850W

不安要素があるとすればCPUクーラーをRyzen9付属のWraith Prismにしている点。別のクーラーをつけてもよかったのだけど、それなりに使えるのであれば使ってしまおうという意図。後は、増設し始めるとPSUの容量が若干不安か。

 

AMD A10を使って組んだPCが最後の自作だったけど、最近のPCがさらに組みやすくなったからかサクサクと組み進められてほどなく完成!

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普段、ファンのLEDは切っているのだけど、PSUだけは明かり代わりにつけている。

今回はスッポン回避のために付属クーラーのグリスを除去した以外、ほとんど特別なことはしていない。

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ヒートパイプがCPU接触面へ入り込むタイプ。付属クーラーに塗布済みのグリスがえらく硬かった。そりゃあスッポンするわ。

物理12コア(論理24コア)の図。研究室で使っていた解析サーバーに比べると壮観さに劣るけど、価格差を考えたら十二分。

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モリーも128GB。これでデータセットがよほど大きくない限りは耐えられるはず。

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不安要素であったCPU温度は平常時で50-60°Cの間を行ったり来たりしている。具体的には「50°Cを下回るとCPUクーラーの回転数低下->CPU温度が60°Cまで上昇->CPUクーラーの回転数が上がる->50°Cへ」を延々と繰り返す。音が一定ではないのが気になる。マザーボードの仕様だろうか?

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UserBenchmarkの結果は以下。

UserBenchmarks: Game 125%, Desk 152%, Work 161%
CPU: AMD Ryzen 9 3900X - 85.1%
GPU: Nvidia RTX 2080S (Super) - 139.1%
SSD: CSSD-M2B1TPG3VNF 1TB - 426.7%
RAM: G.SKILL F4-2666C18-32GVK 4x31.8GB - 85.8%
MBD: MSI MEG X570 UNIFY (MS-7C35)

https://www.userbenchmark.com/UserRun/30401566

CPUのスコアが予想スコアと比べて低い。おそらく付属CPUクーラーの能力不足でクロックが上がり切らないことが原因。Ryzen7を想定して設計されたのだろうから仕方ないか。

とはいえ、冷やしきれないのであればRyzen9 3950Xのようにクーラーなしで売ってほしい。3900XTもクーラーなしでかつ3900Xと同価格で売るようだし。10USDでも価格差があればまだ納得できるが。

※7月16日時点の実売価格は、3900XTの方が3900Xより数千円高いため、卸値も多少差がつけられているように思う。(2020年7月16日追記)

 

これまでの作業でCPUがネックになったことがないのだけど、もしも動作クロックが上がらないようならCPUクーラーを変えないといけない。H510は280mm以上のラジエーターを前面にしか装備できないため、CPUとGPUを水冷しようと思うと若干手狭である。そうなるとケースも買い替える必要が出てきて…。マネーイズパワー…。

 

というわけで、8年ぶりにメインのデスクトップPCを新調した。8年前と一番違うのはAMDの立場で、Zenアーキテクチャの登場によってIntelに対して優位に立っている。暖房器具Bulldozer以来ハイエンドCPUを買ってあげられなかったけど、ちまちまとAPUを買ったり布教したりした甲斐があったわね。

搭載メモリー量や扱うデータ量はサチっている感じがあるので、今回のPCも8年くらいもってくれないかな。次の買い替えではCPUもGPUAMDが迷わず選べるような状況になっていればよいのだけど。

2020年度国立大学授業料減免独自制度まとめ

※医学部学士編入生向けにまとめたものは⬇️

2020年度国公立大学授業料減免独自制度まとめ-医学部学士編入学志願者向け - 未定

 

以前の記事で大学入試と経済支援制度について書きました。

mito0120.hatenablog.com

その中で取り上げた通り従来実施されていた国公立大学の授業料免除制度は2020年度より原則としてJASSOが取り扱う下記の新制度に置き換わります(2019年度在学生には経過措置有り)。 

www.mext.go.jp

「学びたい気持ちを応援します」というフレーズを見るたびに液晶画面を叩き割りたくなりますね!!!

 

さて、多くの国公立大学文科省の言う通りに尻尾を振るだけのイヌに成り下がっていますが、一部の国立大学(公立大学も?)では、新制度の対象外となる2020年度入学者でも申請可能な、独自の授業料減免制度を設けています。文科省による諸々の発表が遅かったこと、各大学内における調整が後手に回っていることから、国公立大学前期試験を1週間後に控えた現在でも2020年度の独自制度実施有無やその詳細について未発表の大学が存在しています。

そこで、新制度の対象外となる2020年度入学者が申請可能な国立大学の2020年度授業料減免制度実施状況をまとめます。あくまでも公表済みの情報を私が可能な範囲で収集し独自に解釈したものです。必要に応じ各自で大学の公表内容を確認するなり担当部署へお問い合わせするなりして下さい。この記事の内容を鵜呑みにしたことにより生じた如何なる事態・損害についても、私は責を負いません。

 

国立大学名    独自制度  備考

北海道大学    条件付き  家計急変の場合のみ対象
北海道教育大学  有り
室蘭工業大学   無し    「令和2年度からは大学院生のみが対象」と記載
小樽商科大学   不明    ホームページ更新待ち
帯広畜産大学   不明    ホームページ更新待ち
旭川医科大学   不明    ホームページ更新待ち
北見工業大学   無し    徴収猶予有り
弘前大学     無し    従来制度は令和元年度在学生対象と明言
岩手大学     無し
東北大学     有り    
宮城教育大学   不明    ホームページ更新待ち
秋田大学     無し    令和2年度4月新入生向け資料に新制度のみ記載
山形大学     無し
福島大学     条件付き  「災害等特別な事情がある場合」
茨城大学     不明    ホームページ更新待ち
筑波大学     不明    ホームページ更新待ち(2020年度新入生向け資料は3月下旬掲載予定)
筑波技術大学   不明    新制度の記載はあるが、従来制度について変更等の記載無し
宇都宮大学    不明    ホームページ更新待ち
群馬大学     無し    従来制度は「令和元年度以前入学の在学生」向けと記載
埼玉大学     無し    従来制度の新入生向け案内無し
千葉大学     不明    ホームページ更新待ち
東京大学     有り    
東京医科歯科大学 不明    ホームページ更新待ち
東京外国語大学  無し    従来制度の新入生向け案内無し  
東京学芸大学   無し    徴収猶予有り
東京農工大学   不明    ホームページ更新待ち
東京藝術大学   無し
東京工業大学   無し    特別授業料免除制度(笑)は2019年度以前入学生のみ対象
東京海洋大学   無し    新制度不採用者へ独自制度有り(10万円支給)    
お茶の水女子大学 無し    学部生用申請書の記載に依る
電気通信大学   不明    ホームページ更新待ち
一橋大学     有り?   新制度対象外の新入生向けに独自支援を示唆
横浜国立大学   不明    「大学が行う「授業料減免」」の意味するところが不明
新潟大学     無し    「令和2(2020)年度の入学者:新制度のみ」と記載
長岡技術科学大学 不明    ホームページ更新待ち
上越教育大学   不明    ホームページ更新待ち
山梨大学     不明    ホームページ更新待ち
信州大学     無し    新入学生向けに従来制度の案内無し
政策研究大学院大学
総合研究大学院大学
富山大学     不明    ホームページ更新待ち(新制度の記載はあり)
金沢大学     無し    従来制度に「大学院および別科対象」の記載あり
福井大学     不明    ホームページ更新待ち(令和2年2月初旬頃に最終確認すべしと記載)
岐阜大学     不明    ホームページ更新待ち
静岡大学     無し    在学生向けに従来制度適用の記載
浜松医科大学   不明    ホームページ更新待ち(新制度の記載はあり)
名古屋大学    無し    
愛知教育大学   不明    ホームページ更新待ち
名古屋工業大学  無し    新入学生は新制度を参照との記載から判断
豊橋技術科学大学 無し    学部入学者向けの案内無し
三重大学     無し
滋賀大学     不明    ホームページ更新待ち
滋賀医科大学   無し    学部生については新制度のみ記載
京都大学     有り    
京都教育大学   不明
京都工芸繊維大学 無し    編入生は従来制度に申請可
大阪大学     有り    
大阪教育大学   無し?   新制度として実施予定と記載あり
兵庫教育大学   無し    対象に学部生の記載なし
神戸大学     無し    不可(2019年度神戸大学在籍で授業料免除者は申請資格有り?
奈良教育大学   不明    ホームページ更新待ち
奈良女子大学   有り    「大学等への入学時期に関する基準」のみを満たしていない者も対象
和歌山大学    無し    学部生向け情報のリンク先がJASSO
鳥取大学     無し    不可(「2020年4月学部入学生」については新制度のみ記載)
島根大学     無し    不可(「学部学生(2019年度以前入学した者)」と記載)
岡山大学     条件付き  被災者等に限定の模様
広島大学     無し?   新制度の支援に授業料減免のみを実施(とは?)
山口大学     無し    不可(令和2年4月入学者については新制度のみ記載)
徳島大学     有り    独自の経過措置
鳴門教育大学   無し    学部新入生向けに従来制度の案内なし
香川大学     無し    
愛媛大学     無し    
高知大学     無し    従来制度は在学生への経過措置として掲載
福岡教育大学   無し    学部新入生向けに新制度のみ案内
九州大学     有り    従来制度実施の通知申請のしおり
九州工業大学   無し    学部生向けには新制度により実施と記載あり
佐賀大学     条件付き  家計急変のみ対象
長崎大学     不明    ホームページ更新待ち
熊本大学     条件付き  原則として災害被災者のみ対象(原則の範囲は不明)
大分大学     有り?   可?(在学生向け申請要領2ページ目の記載に基づく。誤記?)
宮崎大学     無し
鹿児島大学    無し    
鹿屋体育大学   不明    機構の給付奨学金の申込資格を持たない学生(大学院生等)と記載
琉球大学     無し    「令和2年度新入生(留学生、大学院生)」と記載

2020年2月27日9時現在

現状を総括すると、旧帝大北海道大学名古屋大学除く)以外では、北海道教育大学一橋大学奈良女子大学徳島大学が新制度の対象外となる学生向けに独自支援を設けるようです。

今後も可能な範囲で更新と拡充を続けていきます。余力があれば公立大学もまとめたいところですが、倍以上の数になり負担が大きいため期待しないでください。

ところで各大学のホームページに「修学が困難な優れた学生に対し、入学料および授業料を免除・徴収猶予する制度があります」のような文句を見かけるんですけど、国の新制度って「大学受験資格取得後直ちに進学する修学が困難な優れた学生に対し、入学料および授業料を免除・徴収猶予する制度があります」と表記する方が正確ですよね。修学が困難な人間ほど直ちに進学できないはずですが、関係者の多くはその辺りには考えが至らないようです。

 

2020年度国公立大学授業料減免独自制度まとめ-医学部学士編入学志願者向け

以前の記事で大学入試と経済支援制度について書きました。

mito0120.hatenablog.com

その中で取り上げた通り従来実施されていた国公立大学の授業料免除制度は2020年度より原則としてJASSOが取り扱う下記の新制度に置き換わります(2019年度在学生には経過措置有り)。 

www.mext.go.jp

「学びたい気持ちを応援します」というフレーズを見るたびに液晶画面を叩き割りたくなりますね!!!

 

さて、多くの国公立大学文科省の言う通りに尻尾を振るだけのイヌに成り下がっていますが、一部の国立大学(公立大学も?)では、新制度の対象外となる2020年度入学者でも申請可能な、独自の授業料減免制度を設けています。文科省による諸々の発表が遅かったこと、各大学内における調整が後手に回っていることから、国公立大学前期試験を1週間後に控えた現在でも2020年度の独自制度実施有無やその詳細について未発表の大学が存在しています。

いずれは全ての国公立大学について網羅したい気持ちはありますが、取り急ぎ医学部学士編入学志願者向けに国公立大学の2020年度授業料減免制度実施状況をまとめます。あくまでも公表済みの情報を私が可能な範囲で収集し独自に解釈したものです。必要に応じ各自で大学の公表内容を確認するなり担当部署へお問い合わせするなりして下さい。この記事の内容を鵜呑みにしたことにより生じた如何なる事態・損害についても、私は責を負いません。

 

学士編入実施大学 独自制度  新編入学者の申請可否

北海道大学    有り?   可("学部新1年生"が編入学者を含むか否かで要件が変わるため注意)
旭川医科大学   不明    ホームページ更新待ち
弘前大学     無し    不可(従来基準は令和元年度在学生対象と明言)
秋田大学     無し    不可(令和2年度4月新入生向け資料に新制度のみ記載)
筑波大学     不明    ホームページ更新待ち(2020年度新入生向け資料は3月下旬掲載予定)
群馬大学     無し    不可(現行制度は「令和元年度以前入学の在学生」向けと記載)
東京医科歯科大学 不明    ホームページ更新待ち
新潟大学     無し    不可(「令和2(2020)年度の入学者:新制度のみ」と記載)
富山大学     不明    ホームページ更新待ち(新制度の記載はあり)
金沢大学     無し    不可(従来制度に「大学院および別科対象」の記載あり)
福井大学     不明    ホームページ更新待ち(令和2年2月初旬頃に最終確認すべしと記載)
浜松医科大学   不明    ホームページ更新待ち(新制度の記載はあり)
名古屋大学    無し    
滋賀医科大学   無し    不可(学部生については新制度のみ記載)
大阪大学     有り    可(学生別申請制度一覧に記載)
神戸大学     無し    不可(2019年度神戸大学在籍で授業料免除者は申請資格有り?
鳥取大学     無し    不可(「2020年4月学部入学生」については新制度のみ記載)
島根大学     無し    不可(「学部学生(2019年度以前入学した者)」と記載)
岡山大学     無し    不可(但し、被災者は別途相談)
山口大学     無し    不可(令和2年4月入学者については新制度のみ記載)
香川大学     無し    不可(入学料徴収猶予のみ申請可能
愛媛大学     無し    不可(入学料徴収猶予のみ申請可能)
高知大学     無し    不可(従来制度は在学生への経過措置として掲載)
長崎大学     不明    ホームページ更新待ち
大分大学     無し    不可(学部新入生に新制度の案内のみ送付するという記述から判断)
鹿児島大学    無し    不可
琉球大学     無し    不可(「令和2年度新入生(留学生、大学院生)」と記載)
奈良県立医科大学 不明    ホームページ更新待ち(新制度の記載はあり)

参考       独自制度  学士既卒

東北大学     有り    申請可
東京大学     有り    申請可(申請のしおり
京都大学     有り    申請可(出願のしおり
広島大学     無し?   新制度の支援に授業料減免のみを実施(とは?)
九州大学     有り    申請可(従来制度実施の通知申請のしおり

2020年2月28日18時現在

ご覧のように、医学部学士編入学試験を実施する大学の半数以上は従来制度を維持しません。北海道大学名古屋大学以外の旧帝大は従来制度を維持するようです。北海道大学は人件費削減に躍起になっていたくらいなので、独自制度を維持できる体力が無いのだろうと想像できます(名古屋大学岐阜大学との法人統合で足並みを揃えた?)。これは独自制度を設けられていない他の国公立大学にも言えることですが。

今後も引き続き更新と拡充を続けていきます。

 

教育は頭から腐る - 大学入試における"マイノリティー"差別 -

(記載内容における誤りのご指摘や追記した方が良い事柄等があれば、コメントあるいはTwitter@mito_0120までご教示ください)

 

大学入試とその周辺制度に関する萩生田文科相の舐め腐った発言(その2)から2週間余り経った(その1は"身の丈"発言)。しかしながら、年末年始と世界中を賑わすニュースが連続しており、高等教育の修学支援新制度(以下、単に「修学支援新制度」と呼ぶ)、特に国立大学の授業料免除制度の改変が孕む問題への指摘は、2020年度の大学入試を目前に控えて風化しそうになっている。

this.kiji.is

・国立大学学費減免に係る制度改悪

この改悪がそもそも孕んでいる問題に関しては、あみき(@OnicPac)さんによる一連の指摘が網羅的で、かつ隣接する諸問題も併せて取り上げられており、理解を大いに助けると思う。下記のリンクより是非とも目を通していただきたい。

あみき on Twitter: "今から国立大授業料免除制度改悪問題の現況について問合せや調査をして判明したことを整理して書きます。このツイートにぶら下げていきます。
相当長い連ツイになると思います。

私が修学支援新制度について抱いていた懸念の大部分は、上のあみきさんによる一連のツイートで指摘されている。そこで、本稿ではそもそも大学入試におけるマイノリティー高認取得者や高校卒業後複数年経過した受験生)がどのような差別を受けているか、今回の制度変化によってこぼれ落ちる大学入試マイノリティーとそれに対する文科省の対応がいかに無思慮であるかについて掘り下げる。

 

・国による大学入試マイノリティー差別の予兆

修学支援新制度と大学入試マイノリティーに係る問題を扱った記事の内、最も周知されているものは1年前の↓であろう。

anond.hatelabo.jp

上の記事の出発となる問題点は、「修学支援新制度の対象から高認取得者や21歳以上で入学する人間を除外するか否かを文部科学省が検討した」ことだ。身元が不特定多数の人間に特定されやすくなるためあまり公にしたくはないのだが、かくいう私自身も高認(旧大検)取得者である。そのため、私の友人・知人にも高認取得者が多く、年齢層は幅広い。18歳未満で高認を取得して18-20歳で大学へ進学する人間もいれば、事情があって30歳に近付いてから大学進学を志した人間もいる。つまり、この文科省の行動は、「(文科省の想定する)標準的な人生のレールから外れた人間が高等教育を受ける機会の均等性を否定するかどうかを国が検討した」と言い換えて差し支えないだろう。

扱う問題が異なるとは言え、冒頭の萩生田文科相の発言は、「この均等性が特定の年代(世代ではない)において行政・政治の作為により失われることを容認しろ」という国民へのメッセージに他ならない(この点は後述する)。

 

・大学入試そのものにおけるマイノリティー差別と容認

大学入試マイノリティーに対する各種修学支援制度での差別(あるいはネグレクト)とその風潮は上で紹介した記事にある通り明らかだが、大学受験本体においても差別が行われている。本項では大学入試マイノリティーの中でも、特に高認取得者に対する差別(が疑われた)事例を列挙する。

大学受験における高認取得者に対する差別が公に認められた例としては東京医科大学の事例が記憶に新しい。

web.archive.org

当初は高認取得者に対する不利な扱いは「疑い」と報道されていたが、再判定により存在が認められている。高認取得者への差別に対するツイートやコメントは散見されたが、女性や多浪生への差別に対する反応と比較して、その数は極めて少ない。この状況を反映するかのように、次の例では高認取得者への差別は問題にすらされていない。

 

下の報告書に基づけば、福岡大学医学科では高認取得者の調査書に係る採点が自動的にD評価となっていた。高認取得者というだけで50点満点の試験において最大35点しか獲得できなかったことになる(報告書のp.3を参照されたい)。

https://www.fukuoka-u.ac.jp/upload/499002afe1f6db94abf202580edb5dc2.pdf

本報告書から「高卒認定取得者という属性による差別」が行われていることは明らかであるが、報告書内では高卒認定取得者の調査書を一律にD評価として扱った点について言及していない。報告書作成の経緯を考えれば、高認取得者への差別は調査目的の埒外であり妥当と考えられる。しかし、福岡大学医学科入試における高認取得者差別は、東京医科大学による差別と同様に、高認取得者として到底承服できるものではない。

現在の福岡大学医学科入試において高認取得者がどのように扱われているか定かではない。ただ、令和2年度入試の募集要項によると、高認取得者は「調査書」として合格証明書または合格成績証明書(高認試験の点数に基づく評価がA~Cの3段階で各教科毎に記されている)の提出が求められている。高認取得者に対しても高卒者同様に公正な評価を行うのであれば、合格成績証明書の提出を要求するべきではないか。

 

加えて、だいぶ前の事例になるが、秋田大学医学科を受験した高認取得者が面接試験の点数を前後期とも0にされた例もある(※1)。もっとも、こちらは面接試験の採点基準というブラックボックスの中身が明らかとされるに至らなかったため、高認取得者という背景が0点の原因かどうかは断言できないことに留意されたい。

www.asahi.com

※1 余談だが、私自身も某大学の面接試験で酷い点数を付けられた経験がある。筆記試験の出来は良かったが、面接試験の結果が悪過ぎて落ちていた。こちらもブラックボックスとなっており高認が原因かどうかは不明だ。しかし、高認取得周辺の事柄を執拗に掘り下げられたことや、伝え聞いた他の受験生に対する面接官の態度が私に対するそれと比較して大きく異なっており、気分が悪かったことをよく覚えている。

 

高認取得者は絶対数が少ないが故に挙げられる声がどうしても小さくなってしまう。東京医科大学の件も金銭絡みの不正に端を発し、さらに女性差別が指摘されたからこそ、副産物として高認取得者への差別が公に認められた。高認取得者だけでは母数が少なく、差別があったとしても認定されるだけの証拠が集まることは稀だろう(秋田大学の事例のように然るべき機関によるメスが入らないまま終わってしまう)。大学入試における高認取得者への差別については、高認試験の設置者である文科省が改善を主導しない限り無くなることはないと考える。では文科省を動かすためにどうすれば良いかというと、やはり当事者が声を上げなければならないのだろう。

補足だが、本項での事例が医学科入試に偏っている理由は、一般入試において面接や調査書のような受験者の出自・属性による差別が入る余地のある評価方式を採用している学部・学科の多くが医学科であるためだ。大多数の推薦入試やAO入試では、そもそも高認取得者を含めた大学入試マイノリティーに受験資格が与えられていない。一方で、私の友人の医学科合格者には、高認取得者は勿論のこと、入試合格時点で高校卒業後数年経過していた者もおり、全ての医学科が大学入試マイノリティーを差別しているわけではないように思える(差別を受けても合格するくらい試験の点数が良かっただけ、という可能性も否定できないが)。

 

・誰が修学支援新制度の"痛み"を受けるのか

修学支援新制度における大学入試マイノリティーの扱いに話を戻そう。

修学支援新制度の対象は、大まかに

    1. 高校卒業後、2年度以内に大学等へ入学する者

    2. 高認合格後、2年度以内に大学等へ入学する者(※2)

    ※2 高認受験資格取得から数えて5年度を過ぎて高認に合格する場合は、毎年度高認を受験することで対象となる

に分けられる。詳しい内容は文科省による資料JASSOのホームページを参照されたい。

来年度からの修学支援新制度は「給付型奨学金」と「学費減免」の2本の柱からなる。この内、今回改悪されるのは「学費減免」の方だ。国立大学における現行の学費減免制度について、収入基準は大学毎にバラツキがあるものの、改悪後の収入基準は現行制度と比べると(私がざっと調べた限りにおいて)非常に低く設定されている。また、現行の当該学費減免制度において、高校卒業後あるいは高認合格後の経過年度数により申請資格が制限されるという記述は見たことがない(ある場合はお知らせ願いたい)。よって、本改悪の問題点は「学費減免対象者の収入基準引き下げ」と「学費減免に係る高校卒業後(高認合格後/高認取得まで)の経過年度による申請資格制限の新設」の2点に集約できる。

本改悪において不利益を被る当事者は、「現行の制度を頼りにしている大学在学生」、並びに「大学進学を準備していた人間(あるいはこれから進学を志す人間)」である。しかし、文科省はこれらの当事者の中でも現時点で大きな声を上げられる者、すなわち既に国立大学へ在学している者だけに配慮した特例を設置し、現時点で大学に入学していない人間を冒頭の決定によって完全に切り捨てた。"端境期"であると自覚しているのであれば、せめて従来制度と新制度を数年間併用するのが最低限通すべき筋だと私は考える。冒頭で紹介した記事も、特例が設置されて然るべき(だという意見がある)状況において特例が設置されなかったことに対する反応であろう。

冒頭の決定によって特に大きな"痛み"を与えられた人間は、既に高校卒業あるいは高認合格から2年度が経過している大学受験者や、これから高認を受験予定で今年度中に21歳以上となる大学受験者だ。この中には既に大学受験の準備に取り掛かっている者や出願を済ませている者もいるだろう。彼らが高等教育を受けたいと希望して積み重ねた努力を、文科省は入試本番直前になって潰した上、あろうことか"痛み"を与えた張本人である文科省のトップが"痛み"を理解し耐えろと宣った。これが侮辱以外の何だというのか。この発言が出る素地は"身の丈"発言と同様で、結局は自分(とその関係者)に不利益が生じなければ良いという姿勢だ。

国立大学の学費減免制度が新制度に一本化された場合、何らかの事情で高校卒業後2年以内に進学できない者や、高認合格から(あるいは高認受験資格取得)から時間が2年が過ぎた者は、いくら優秀であっても、如何なる事情があっても、自らで学費を支弁しなければいけなくなる。

高校卒業後2年以内に進学できない理由?そんなものはいくらでも考えられる。進学希望者自身の療養、子育て、介護、弟や妹の養育、etc。それ以外にも、親による進学の妨害(時に暴力が伴う)などもある。世の中というのは無慈悲で、これらの事情には金銭的負担が伴うことが多い(治療費、養育費、介護費など挙げればキリがない)。現行の制度においても、親から経済的虐待を受けた場合(例:保護者が十分な収入を得ているにも関わらず、子の進学費や生活費を援助しない)の救済措置は皆無に等しい。これは、国立大学の多くが学費減免制度の運用に当たって学部生を独立生計者とみなさないことによる(※3)。この問題に関連してTritamaさん(@T_ritama)の記事に大きな反響があったことは記憶に新しい。

※3 京都大学は学部生であっても要件を満たせば独立生計者として認定するようだ(参考)。しかし、"他大学よりはマシ"な程度であり、経済的虐待に有効な内容ではない。

t-ritama.hatenablog.com

金がないなら自分で稼げば良いと言う意見もあるだろうが、高卒の平均初任給が17万円に満たないことを踏まえて概算すれば、年間賞与を4ヶ月としても年収は額面で270万円程度(学振DCより高いな…?)。ここから税金や各種保険料が引かれた手取りで独立生計を立てつつ、国立大学4年間の学費と入学料の合計約250万円+当座の生活費を貯めるだけでも数年単位の準備期間が必要だろう(※4, 5)。フルタイムで働きながら大学受験の準備を進めるだけでも十分大変だ。これで進学希望者自身のことだけ考えれば良い状況ならまだマシであるが、そう甘くない例が多いことは既に述べた。

※4 私の友人には大学4年間の学費と生活費を1年以内に用意した猛者が複数名いるが、競馬で数百万円稼いだりと特殊な例に限られている。

※5 加えて、一部の国立大学において学生寮が廃止・縮小されている現況も、大学進学に係る経済的負担の増加に拍車を掛けている(そもそも学生寮の入寮審査においても両親の収入が考慮され得る)。

 

・大学受験マイノリティーは「遠くの世界の誰か」ではない

一般的な高校を卒業した直後に大学へ進学する人々と比べて、大学受験マイノリティーは大学入学までに乗り越えるべき障害が多い傾向にある。しかし、大学入学後はその背景に関わらず、同じ講義を受け、同じ定期試験を受け、同じゼミや研究室で学び、同じ学位を取得する。大学受験マイノリティーであった私の友人たちも、各々の道は違えど、他の人々と同じ職場で働き、同じ街で生活している。本稿では便宜上「大学受験マイノリティー」と一括りに呼んでいるとはいえ、大学進学に至るまでの道のりが違うだけで同じ人間なのだから当たり前なのだが。

これは、逆説的に「当たり前の様に高校を卒業して大学進学を果たした人間が大学受験マイノリティーになっていた可能性」を示唆する。ある日突然いじめの標的にされたかも知れない、ある日突然治療に時間を要する難病を発症したかも知れない、3年連続でセンター試験当日にインフルエンザによって動けないほどの高熱が出たかも知れない(これは身近に実例があった)。大学受験マイノリティーは、(不幸な)偶然であったり、一般的な想定が及ばない状況(あるいはいじめの様に構造上少数しか陥らない状況)で生じる。不登校児の親のテンプレ的な発言に、「まさかウチの子が」というものがある。大学受験マイノリティーが生じる原因は不登校だけではないが、私達大学受験マイノリティーはそういった様々な「まさか」の産物なのだ。

そんな自分の手に負えないハンデを乗り越えて学問を志す人間は、毎年の高認合格者数から類推するだけでも10,000人/年のペースで生み出されている。全員が国立大学進学を志望する訳ではないにせよ、高校を卒業してくる大学受験マイノリティーも含めれば相当な人数だ。こういった背景を元に冒頭の萩生田文科相のコメントを振り返ると、如何に見苦しい開き直りを教育行政の長が行ったかがよく分かる。是非とも国立大学における学費減免制度の改悪を白紙に戻していただきたい。

もし当該制度の改悪が強行されたとしても、この記事が大学受験マイノリティー差別とそれが文科省にすら容認されている現状の周知にわずかでも寄与し、これから学問を志す誰かの一助に繋がる様に願っている。

リアル耐毒バフ

(2019年12月28日一部追記・修正)

今日はクリスマスですね。私はひとりぼっちになった研究室でこの記事を書いていますが、12月26日にこの記事を読んでいるみなさんはそれぞれの大切な人と共に夜を過ごしたのでしょうか?

リア充は3回回って爆発しろ!!!!!

 

どうも、@mito_0120です。去年に引き続き今年読んだ一番好きな論文2019 Advent Calendarの参加記事です。けばぶ(@kebabfiesta)さん、一昨年、去年に引き続き主催をありがとうございます!常通り飛び込みで参加します。既に20時を大きく回っているが、果たしてこの記事は終電までに書き上がるのか。

adventar.org

 

さて、今年も色々な論文を読みましたが、個人的に一番ロマンを感じたのは大腸菌を栄養的に独立させる論文です。

↓Science誌による紹介記事

www.sciencemag.org↓本文はこちらから 

https://www.cell.com/cell/fulltext/S0092-8674(19)31230-9

 

社会学におけるサンプリングバイアスの論文も興味深いものでした。

www.nature.com

(※紹介する論文は誰でもアクセスできるPDF版へのリンクを入れてありますが、こちらは主旨にそぐわないためHTML版のみです。あしからず。)

 

とはいえ、「好き」という観点から選ぶのであれば、今年はオオカバマダラの毒抵抗性に関する論文でしょうか。

 ↓PDF版(誰でもアクセス可)

rdcu.be

 ↓HTML版(Nature購読者用)

www.nature.com

 

ざっくりと解説すると、

1. 昆虫の各科で独立に出現する毒(強心配糖体)耐性の進化学的解析を出発点とし

2. モデル生物であるキイロショウジョウバエに毒耐性関連変異を導入することで

3. 毒耐性のチョウ目における段階的獲得をなぞった

という報告です。例のごとく概要と好きなポイントだけ話して満足するスタイルでやっていきますので、細かい部分は各自で味わってください。

 

非モデル生物で認められる形質への関与が予測された塩基変異を、ゲノム編集技術が既に確立されたモデル生物へ導入することでその関連を実験的に証明するという方針そのものはもはやスタンダードと言っても過言ではないでしょう。

2016年の論文ですが、蛇における四肢の消失に関与するエンハンサーの特定を目指した研究でもマウスに蛇型変異を導入して四肢が発生しないマウスを作出しています(下記)。四肢が正常に発生しないマウスの写真は衝撃的でした。

Progressive Loss of Function in a Limb Enhancer during Snake Evolution

本論文の責任著者であるDr. Whitemanの経歴を拝見すると、学部では昆虫(ハチ)の形質置換の研究、修士課程では昆虫の形態や分類、博士課程では鳥類に寄生するシラミなどの集団遺伝学的解析を行ったようで、生態学から徐々に進化学・分子生物学へ近づいてきたことがわかります。本論文はこれらのバックグランドを存分に発揮した内容です。

 

さて、本論文の主役(…というには出番が薄い)であるオオカバマダラ(Monarch butterfly)は北米に生息するチョウの一種です。このチョウの特徴として有名な行動に"渡り"があります。

www.nationalgeographic.com

オオカバマダラはメキシコやフロリダ州など比較的温暖な地域で越冬を行いますが、春から夏にかけて餌を求めて北上していきます。1年以上の寿命を持つ、例えば鳥類であれば、1個体が越冬地と避暑地を往復することができます。しかし、オオカバマダラの寿命は短く、北上する際は2〜3世代かけて、ゆっくりと移動し、秋に越冬地へ南下するときは1世代で移動する特徴があります。

ところで、チョウは草花に好き嫌いがあり、オオカバマダラもその例外ではありません。そこで、オオカバマダラが好む草花を庭に植えることでオオカバマダラを招くガーデニングも行われているようです。

monarchbutterflygarden.net

チョウの好き嫌いは産卵場所にも発揮されます。オオカバマダラが産卵する植物は「トウワタ」という植物です。このトウワタキョウチクトウ科に属する植物で、お察しの通り毒草です。トウワタの主たる毒(アスクレピン)はキョウチクトウの主たる毒(オレアンドリン)と同様に強心配糖体で、主にナトリウムポンプのαサブユニット(以下、ATP-α)に結合することでその機能を阻害します。オオカバマダラがアスクレピンを体内に蓄えられることから、強心配糖体感受性の生物と比較してオオカバマダラATP-αのアスクレピン結合能は低いことが予想されます。

強心配糖体抵抗性はオオカバマダラ以外の昆虫にも見られる形質で、系統樹内で独立に発生することが過去の研究から示唆されていました。

www.pnas.org

そこで、著者らは既報のATP-αアミノ酸配列および強心配糖体抵抗性・蓄積能を系統的に比較することで、ATP-αにおける強心配糖体抵抗性関連変異を見出すだけでなく、強心配糖体抵抗性関連変異の進化の道のりを明らかにしようと試みます。

Fig.1では巨大な系統樹が示されていますが、ここで最も重要なポイントはショウジョウバエの一部においても強心配糖体抵抗性が獲得されている点でしょう。前述の蛇の論文では爬虫類の配列を哺乳類であるマウスに導入しているため、表現型が観察された動物とモデル動物の間に大きな隔たりがあります。しかし、今回はモデル生物であるキイロショウジョウバエの近縁種が強心配糖体抵抗性を獲得していることから、独立して進化したはずのATP-αの強心配糖体抵抗性変異に共通点が見出されれば、その変異が導入されたキイロショウジョウバエが強心配糖体抵抗性を獲得するという予想は強くなります。

著者らはATP-αにおける111、119、122番目のアミノ酸(祖先としてQANが推定)が強心配糖体耐性との関連が強い(119番目は111番目との共進化)という解析結果を示しますが、果たして強心配糖体抵抗性を持つショウジョウバエ近縁種(Droshophila subobscura)とオオカバマダラのATP-αにおいてアミノ酸は共にVSHとなっていたのでした。ここが本論文の肝で、万が一ショウジョウバエとオオカバマダラで強心配糖体抵抗性関連変異が異なるような結果であれば、Fig.2以降の実験をもやもやを抱えながら眺めることになります。(実際のところ、系統樹を描いてからオオカバマダラをメインに据えたストーリーを考えたようにも思えますが…)。

Fig.2以降はゲノム編集でキイロショウジョウバエにガンガン変異を導入して強心配糖体抵抗性の獲得を調べると共に、その強度や強心配糖体蓄積能が系統樹で示された進化の道筋に沿って強化されていく様子を示しています。もちろん大変な作業を伴う実験ですが、最後の方では解釈をエピスタシスに丸投げするような(せざるを得ない)状況もあり、Fig.1ほどパリッとしない印象です。

 

さて、私がこの論文を好きな最大の理由は、過去に生態学的研究から見出されていた形質の原因をin vivoレベルで確認した点にあります。加えて、上述の蛇の論文ではかなり広範なゲノム解析を行なっていた(はず。3年前に読んだので記憶がおぼろげ)にも関わらず、本論文では2つの遺伝子(!)の限定された領域と生態学的知見を合わせることでFig.2以降の実験を行うための根拠を見出しています。図にすると一見スマートに見えますが、実際は結構泥臭い仕事だと想像します。

ゲノム編集技術の普及とモデル生物の活躍の幅が急速に拡大していることは言うまでもありませんが、ツールだけがあっても使い方がうまくなければ無意味です。その点で、本論文はマクロに観察された生命現象から既に存在する知識やミクロな分子生物学の世界へアプローチするという新たな道筋を示した点でも評価できそうです(私が知らないだけで似た研究は溢れているのかも知れませんが、この規模の生物種横断的かつ生態学的知識を起点としたアプローチを見た記憶がありません)。

近年、数十年前に報告されたものの当時はアプローチができないまま忘れ去られたような報告を起点とした研究が所謂トップジャーナルに掲載されている例をちらほらと目にします。この論文も温故知新を体現するような研究であり、古い論文まで隅々調べることの大切さを改めて噛みしめたのでした。

 

(2020年1月27日・追記)

 Yu Nakajima (@nkjmu)さんより、「今年も滋賀の魅力を押しつけていくで賞」として近江牛味噌漬け、琵琶湖マスの昆布巻き、喜楽長純米大吟醸をいただきました!!!え、本当にこんな高級品をいただいてもいいんでしょうか…。とりあえず滋賀県のことは大好きになりました。

アフリカが真に解放される日は来るか〜アート研究から〜(修正版)

(2022年5月6日:登壇者からコメント経由で記事の削除を依頼された。これを受け、全部削除でなくとも依頼の目的を達成できると判断し、記事の一部削除・修正を行った。そのため、文意を取りにくい箇所などが生じている。)

 

少し前だが12月7日(土)に「アフリカからアートを売り込む」と題したシンポジウムを拝聴してきた。備忘録を兼ねて雑感と共にここに記す。可能であれば記載内容について誤りのご指摘や、補足等のご教示をいただければ大変ありがたい。

なお、本シンポジウムの概要は下記リンクより参照されたし。

www.l.u-tokyo.ac.jp

 

演者と講演主題は次の通り。

前半

小川弘氏(株式会社東京かんかん);アフリカ骨董・美術品の買付けと収集、相場について。会社は骨董以外も手広く扱う。

川口幸也氏(立教大学);アフリカ同時代美術の展示。

柳沢史明氏(東京大学・主催者);旧ダオメ王国(現ベナン)におけるツーリストアート(土産物)の変遷。特にモチーフや技術について。

後半

緒方しらべ氏(国立民族学博物館);ナイジェリア地方都市における「アート」と「アーティスト」の現状。

安斉晃史氏(株式会社バラカ);タンザニアからTinga Tingaアートの輸入・販売。会社はコーヒーなども取扱う。

 

日本語を母語とする人の多くにとって、アフリカ大陸の、特にサハラ以南は縁遠いものだろう。私の周りでもモロッコやエジプトのようなアフリカの地中海沿岸地域を観光で訪れた人間は多いが、それ以外の地域となるとなかなかいない。いたとしても仕事や研究で訪れるか、世界一周(に近いもの)の過程で訪れた例が多く、その土地に魅力を感じてサハラ以南のアフリカへ渡航した人間の数は非常に限られる。以前の私も個人旅行であえてアフリカを目的地に選ぶかと言われれば選ばなかった、と思う。

そんな状況なので、日本においてアフリカ(特にサハラ以南)を「知って」いる人の数は非常に限られている。最も普及しているアフリカのイメージは、テレビのバラエティー番組や、もはや近代文学になりつつある旅行記の類に作り上げられたステレオタイプだと断言しても過言ではあるまい。この文章を読んでいる人も、アフリカと聞けば野生動物、コーヒーやカカオなどのプランテーション作物、仮面を着けて槍を持ち赤土や草で作られた家に住む大家族なんてものを想起するのではないか。なので、例えばアフリカ料理店のメニューに並ぶ煮込み料理や、主食になる粉物の名前を1つでも知っていれば、世間より遥かにアフリカに通じている方だ。つまり、それくらいアフリカと日本には"距離"がある。

本題に戻るが、想像に難くないようにアフリカ美術の日本における知名度は(体感として)非常に低い。アフリカ諸国を題材とした展示を見かける機会はどの程度か。アフリカの一国、アフリカ出身の作家一人にスポットライトを当てた企画展示の広告を見かけたことがあるか。アフリカから発信されているアートを何でもいいから思い浮かべることができるか。検定教科書におけるアフリカ美術の記述量は他地域のそれと比較してどの程度か。本シンポジウムにおいて議論すべき要点、ないし解決への糸口を見出されるべき課題はまさにここにある。(仮に私がアフリカンアートを研究対象にするのであれば現状を把握するために知名度に係るデータを取得しておきたいと思うものだが、調べた限りでは見当たらなかった。)

さて、商取引され得る「アート」にどのようなものがあるかざっくりと分類すると、

・日用品を主とする民芸品(生活必需品、実用品、現地消費)

・土産物を主とする工芸品(民芸品よりも商業的、輸出を含む外需)

・骨董品を含めた芸術作品(商取引されるが上記2つと相場を異にする)

のようになる。

アートの区分について述べたところで、演者が取扱う題材について先の分類に沿ってもう一度確認すると以下のようになる。

・現地消費を目的とした民芸品について;緒方氏

・土産品や輸出向けの工芸品について;柳沢氏、安斉氏

・骨董品や芸術作品について;小川氏、川口氏

アフリカ美術を取扱う人間は少ない中にあって、いずれの区分にも演者がおり、バランスが取られている。一方で、「アート」の指すところが上手く整理されていないために議論が進んでいなかった。つまり、おそらく主催者が目指したであろう芸術・工芸を広範に扱うという目的は、皮肉にも扱う領域が広範であるがゆえに達成が困難な事態に陥っていた。それを象徴した場面が、後半終了後の質疑応答で「「アーティスト」の定義」を問うたフロアからの質問に対する演者達の反応だ(この時の登壇は後半の演者3名のみ)。この問いに対して明確な答えを返した登壇者は安斉氏のみで、「アルチザン」と即答した。緒方氏は現地で「アーティスト」と称される集団が何に当たるのか言い換えて答えるべきであった(おそらく「印刷や塗装などの実体化までを一手に引き受けるデザイナー」という表現が適当であろう)。

ところで、この区分がなぜ大事なのかというと、単純に動く金額が異なる点にある。現地で消費される日用品は現地の経済状況に合わせた価格になり、土産物は観光客(外国旅行可能な所得層)の経済状況に合わせた価格になる。骨董品や芸術作品に関しては相場が完全に異なり、数百万円から数億単位の金額が動くこともザラである。動く金額の違いは「売り込む」という本シンポジウムの主目的と不可分だ。すなわち、上記の区分毎に売り込む戦略は異なるし、生産/制作者と共に目指すべき方向や到達点も異なる。

個々の条件を理解し、戦略を立て、実行する。上に記した安斉氏の回答が残りの2名と比べて明朗であった最大の理由は、これらを実行して「売り込む」ために現状を深く理解しているからに他ならない。現地での調査を専門として禄を食んでいる人間よりも、商取引を行なっている人間の方が状況をより正確かつ詳細に捉え、加えて現地に利益までもたらしているというのは若干の皮肉を感じる。

 

ここからは順を追って講演内容と雑感をまとめていく。 

小川氏と川口氏の講演によって、日本におけるアフリカ美術の知名度の低さと歴史の浅さの再確認が行われた。小川氏の講演では、特に骨董品について、欧米におけるアフリカ美術市場の成熟度合いや、新規市場開拓の困難さ(市場に新規流入する骨董品の点数の少なさ)が指摘された。これらの事情により、日本で新たにアフリカ骨董美術の体系的なコレクションを作り出すことは困難であろうことが窺える。翻って、川口氏の講演は同時代美術が題材であり、骨董品と比較して新規点数が多い。しかしながら、やはりアフリカ美術の受け皿は日本に少なく、同時代美術作品の価格高騰も相まって、西洋美術のように主だった作家・作品を広告塔にしてアフリカ美術を日本国内で広めることは難しいように思える。具体的にはアフリカ美術を主題とした展覧会実施の困難さがある。この点を開催費用や主催者をはじめとする開催側の体制・積極性に注目して解説しており、私を含めた消費する側の人間がなんとなくで理解した気になっていた部分を一段進んで理解する手がかりとなっていた。

川口氏の講演で一番重要な指摘は、アフリカ美術に対する間口の狭さというよりも、アフリカ美術に対する姿勢であろう。私自身がアフリカの文化・芸術について大学で講義を聞いた機会を振り返ると、いずれにおいてもアフリカの文化・芸術が文化人類学の研究対象、すなわち我々の文化と比して異質なもの(観察対象)として扱われていた。この姿勢はアフリカ外を観測者たる主体、アフリカを被観測者たる客体として扱う。もっとも、この姿勢はアフリカに対するものだけではない(なかった)。この辺の話は踏み込むと際限がないので割愛するが、日本で暮らす人間にとって最も身近な例はアイヌ民族に対するものだろう。

観測者は観測した情報を発信する。以前は発信先が閉鎖的かつ限定的であったが、現在は状況が異なり、広く全世界に向けて発信できる。川口氏の講演で示されたスマホを撮影者に向けるアフリカの若者たちの姿はその象徴である。インターネットへの接続時間や通信料が限られるとはいえ、アフリカかからの情報発信は手軽にできる時代であり、アフリカにいながらにして全世界の情報へ即座にアクセスできる。アフリカ各地で主権国家が成立してからも長らくアフリカは客体でのみあり続けたが、もはやその時代は終わった。これからはアフリカも観測者となり主体的にアフリカ外を論じ、発信することが可能である。この辺りは芸術以外の分野でも指摘され始めている。

 

柳沢氏の講演ではツーリストアート、端的にいえば土産物(特に真鍮製品)のモチーフの話が主であった。技術やモチーフの変遷、モチーフの民芸品への輸入などは個人的に興味深いものであった。しかしながら、私にはアフリカ美術をアフリカ外へ売り込むこととの関連が見出せなかった(これは後半で講演した非商業系の2名にも言える)。真鍮製品を現地で購入してもらうには現地が渡航地として魅力的にならなければいけないし、輸入するにしても真鍮製品をどのようにして売り込むか考えなければいけない。主催として先のようなシンポジウムの主題を掲げるのであれば、この点の考察をもっと深く掘り下げるべきではなかったか。

このように、前半では現地の作家や職人自体にスポットライトが当たることはほとんどないままに進んだ。川口氏の講演では企画展を実施した作家のアトリエなどの紹介があったものの、本シンポジウムが扱う領域の広さからすれば非常に限定的だ。

 

続いて後半の講演について。

緒方氏の講演内容はナイジェリアの一都市において「アーティスト」と呼ばれる人々がどのようなものを制作・販売しているかというものであった。この「アーティスト」は依頼に応じて慶事等の際に配布するステッカーのデザイン・印刷から車体や外壁の塗装までなんでもこなす。使うツールも対象によって異なるため、ペンキから紙、DTPまで幅広く扱う。

このように緒方氏の講演において「アーティスト」と呼称されるものは先に述べた通りデザイナーとしての側面が強い。「現地で「アーティスト」と呼ばれている/自称しているから彼らは「アーティスト」である」というのは、ここでは言葉遊びに過ぎない。ナイジェリアにおける「アーティスト」がデザイナーであると考えれば、フロアから出た「電子データの納品はあるか?」という質問は極めて自然な発想に拠る。

電子データによる納品は、緒方氏以外の講演で取り扱われたいずれの美術・工芸品とも性質を異にする。すなわち、手配が困難な梱包や高額な送料と紛失破損リスク、税関等での煩雑な手続きを回避し、在庫管理から解放され、電子決済による収入の即時性が獲得できる。立体デザインの扱いも制作環境さえ整えば可能だ。電子デザインは現状でアフリカ美術を最も簡便に発信し、普及させられる手段ではないか。(ちなみに、3Dモデル制作をエチオピアケニアへ外注した例は聞いたことがある。)

ただ、電子データを以ってしてもアフリカ美術と日本に暮らす人々との美的感覚が親和しなければ普及はしないが、これは納品手段と別の話になる。その点について、緒方氏は我々が価値観を柔軟に変化させていく姿勢が重要と述べている。しかし、私の意見はむしろ逆で、商業デザインであれば顧客の価値観に寄せていくべきだろう。ここが芸術作品との違いであり、強みでもある。アフリカ芸術の普及は遅々として進んでいないが、電子納品と組み合わせた商業デザインならあるいは、というところが私の考えだ。

 

安斉氏の講演は、(内容の全てを事実として飲み込むのであれば)企業のPRとしてもシンポジウムの一部としても理想的なものであったと思う。国内での常設展示や作家の招聘は金と場所さえあれば極論誰にでもできる。しかし、現地での作家共同体形成や日本で売り込みやすいデザインを用いた制作依頼は容易ではない。また、作品を(適正な価格で)買い取ることで作家への経済的不安・負担をなくすことは、作家が次の作品を制作するモチベーションに繋がる。作品を作っても売れるか分からないまま(下手すると収入がゼロのまま)作り続けるということは精神的・経済的負担が大きいし、そのような関係は容易に破綻し得る(それ以前に作家の生活が破綻する)。制作現場にあってはビジネスを継続するための種を蒔き、国内にあっては咲いた花を売るために最大限の努力をする。得た利益と経験から、さらに売れそうな種を蒔く。実業の重要性を理解している商人の姿を久々に目にした。外国人を騙して借金漬けにした挙句、奴隷のように扱う人でなしどもに爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。

 

アフリカは欧米や東アジアと比較すれば総じて経済水準が低くインフラの整備も途上であり、発展に技術や経済の援助が必要なことは事実である。しかし、決して西洋や東洋に劣っているわけではない。当然のことだが、日本に欧米と異なる論理・価値観があるように彼らには彼らの論理・価値観があり、我々は互いに対等である。与えられる側であり、与える側である。いまだにアフリカが未開の地、奇特な文化を持つ異人と考えるのであれば、それはその人間の無知ゆえにであり、この点が解消されない限りアフリカが真に解放される日は来ないのだろう(アフリカ以外にも言えることだが)。本シンポジウムに参加した人間のうちどの程度がそう考えていたのかはわからないが、せめて自分だけでも差別意識を自覚し、取り払うように努力を続けたい。

はじめてのしうかつ(公開用修正版)

(この記事にはフィクションが混じっています。現実と虚構の区別が出来ない方、想像力が著しく欠如している方はお帰りください。)

来年度からの身の振り方がほぼ決まった。「ほぼ」というのは一部の手続きを終えていないという意味で、結果は出ているし、家族とも相談済みだ。

私は所謂バイオ(?)系の研究を博士課程で行っており、今年度で標準修業年限を終えるため就職活動を行っていた。最近は博士向けの就活エージェントなども登場しているため淡い期待を持って始めたが、結論として私の就活は散々だった。

 

序章.就活を始めなければいけなくなった

就活を始めた切っ掛けはよくある話で、所属している研究室の予算状況が変化し、翌年度に私が雇用される枠があるかどうか不確かになったことだ。加えて、所属している研究室には私よりシニアなポスドクが数名おり、当たり前だが私より実力も実績も数段上回っている。となると、大型研究費の獲得を考えたときにシニアポスドクらの存在は私より重要になり、切り捨てるのであれば彼女・彼らより私が先だろう。私が研究室を主宰する立場にあればそうするし、そこに恨みもないのだが、何にしても稼がなければ食っていけない。年度が変わる前に別の研究費を獲得できる可能性もあるが、そこに期待して何も手を打たないのは流石に無謀過ぎる。

 

前章.スロウスタート現実編

そして就活を始めた。始めた時期は今年度に入って翌年度の研究費について状況が分かった直後。博士新卒の採用は経団連の取り決めの外にあるため、多くの企業が秋から1年半先の採用を見据えて選考を行っている。つまり、私はスタートラインにすら立つことができなかった。院卒が応募可能な学部新卒向けの採用も、ほとんどの大企業がエントリーを締め切っており、予想通り初手で詰みかけていた。

元々自分の性格や履歴書的に大企業は無理だろうと考えていたのもあり、ベンチャー企業の採用も調べた。ベンチャー企業や新興企業の特徴に、社員の平均年齢が比較的若い点がある。ここが一番の鬼門だった。書類選考(ほぼ全員通過)を通って面接へ行っても、帰ってくるフィードバックは「新卒採用をするには年齢が…」という内容ばかり。博士新卒も採用対象にしていると謳う会社に年齢を理由に落とされた時は乾いた笑いが出た。

なりふり構っていられないので、転職サイトにも登録した。恐ろしい勢いでブラック企業からのスカウトオファーが届いた。外資系の応募に必要だったため、TOEICを受験してスコアを登録した。その直後に「自己PRを何度も読み返しました」というオファーメッセージが来た。私は一文字も自己PRを書いていないのに。

私の研究内容と共通する部分が多い中途採用求人にも応募した。「即戦力を求めているので不採用」という回答が来た。企業で研究すると2~3年でそんなに研究能力が高まるんですかね?研究と全く関係ない中途採用求人にも応募した。「社会人経験が足りない」という回答が来た。何が社会人だ私だって扶養を外れて諸税に加えてバカ高い各種社会保険料を納めているぞ。資本に尻尾を振る労働者経験って正確に言え。

間に合う範囲で公務員採用試験も応募した。募集要項に記載されている手当ての金額は、地方都市より都市部の方が低かった。都市部では待遇を改善しなくても人が来る一方で、地方では待遇を改善しても辞めていくくらい人が減ってしまい、人手不足による激務から労働環境の悪化に歯止めが効かなくなっている。そんな、社会構造が抱える†闇†も垣間見えた。

それにしても、受験の度に方々へ行くと旅費がかさむし時間もかかる。かと言って、都内の大学院に通学すると交通費と家賃がかさむ。この辺はどっちもどっちだろうか。セミナーや勉強会などは東京で開催される件数が圧倒的で、他の都市では太刀打ちできないが。

 

後章.「博士は就職できない」は嘘でも本当でもある

私が就活中に改めて感じたこととして、産業に直結しない分野の博士就活はかなり厳しそうだという点がある。工学全般、情報学(一部の数学・物理学含む)、化学(特に材料系)、医薬学(がん、創薬再生医療)などであれば求人の数は多かったし、博士向けの就職・転職エージェントが扱う求人もほとんどがこの分野に当てはまっていた。逆にいうと、博士向けエージェントサービスは現時点でほぼ存在価値がなく、先に挙げた元々需要がある分野以外を開拓できていないように見えた。実際のところ、私が登録したエージェントは伝書鳩未満(伝書鳩の方が直接相手とやり取りできる分だけマシ)な働きしかしてくれなかったので、説明会へ参加するために利用するくらいでちょうどいいだろう。某エージェントの企業説明会は初回から採用担当者と密に話ができたため、マッチングという本来の目的を達成するには良いシステムだと感じた。

コンサル企業は使える人材なら誰でも良いというスタンスに感じたが、某社には能力が一定水準以上なら若い方を採用すると明言された(ここら辺は採用担当次第かも知れない)。データサイエンス系も院卒を採用しているが、統計やプログラミングの知識と経験、適性がないと若干厳しいものがある。

年齢については、浪人やオーバードクターなどで少し重ねても、採用時に29歳ならどうにかなる可能性が高い。多くの求人で採用時29歳以下が要件として掲げられていた。特にIT関連の労働者派遣業や、経験者が極端に少ない業種(こちらはホワイト企業が多い印象を持った)は応募者の背景を問わず間口を広く募集していた。30歳を超えると選択肢が一気に減り、物流系、土木建築系、工場勤務の求人が目立っていた。

最初の話に戻るが、博士やポスドクからでも就活できると喧伝しているのは(少なくとも私の観測範囲では)非常に限られた分野に携わる人間だけだ。これは当たり前のことだが、営利企業は利益を上げなければ成り立たない。大学院で行う研究や培われる技術が将来的に利益へつながる可能性があれば博士に行っても就職できるだろう。しかし、その可能性がないなら就職は難航する確率が高い。博士進学を諦める、あるいは進学後に博士課程を中退するというのも勇気ある決断ではないか。ちなみに私の研究分野は利益につながる可能性が低いものであり、私のはじめての就活は予想通り難航した。

 

終章.就活、選考の果てに…

そんな救いようがない私の就活戦線だったが、高評価をいただけた企業も数社あった。それらは老舗企業や設立10年程度のベンチャー企業などで、構成年齢が若干高めだった。いずれの採用担当者も私の将来を真剣に考えてくださり、そのうち1社は「待遇やキャリア・人脈形成を考えると、うちに決めず貪欲に就活を続けた方が良い」と前置きしつつも「採用枠は空けておくからいつでもおいで」とおっしゃってくださった。この採用担当者には生涯感謝し続けるだろう。

ただ、結果として就職ではなく、運良く合格した某大学医学部へ学士編入することに決めた。研究、就活、学会を含めた出張などに追われており試験対策は全くできていなかったので、試験当日は記念受験の心持ちだった。学部生からやり直すことになるが、研究を続けられる可能性があること、経済面、自己実現などを考慮すると最善の選択肢と判断した。家族には頼れないが、当座の生活費もどうにかなる目処が立っている。

博士課程に進学したことについて後悔はほとんどない。もちろん辛いこともあったが、総合的に考えると楽しいことの方が多かった。学士編入試験の合格も博士課程の副産物的な側面がある。ただ、こう言えるのは自分で納得の行く結果が得られたからで、そうでなければ今後の生活に関する不安で押し潰されそうになっていたと思う。安易に他人へD進を勧めるべきではないと再確認した就活だった。